知らず知らずに、意識していることは、思考を介さず、直接対象に関心を向けています。
特に、かつて異性を意識した時を思い出してください。いつ頃でしたか?
相手の行動に、無意識で、自然に目がいくようになっていたはずです。
「なんか意識をしている!」という表現が、ピッタリですね。
このような状態は、「愛」に近い感情であり、極めて生理学的にもプラスのホルモンを分泌していることになります。
意識したその瞬間に、芽生える感情に気を配ってみると、心地よさが分かります。
今のあなたは、そうではなくても、かつてのその時を思い出すことで、客観的な視点でいると、何となく思い出される感じがつかめるかもしれません。
その時は、主観的な立場だけでいたことが、今になって当時を思い出すことで、客観的な立場に立てることの意味が分かるのではないでしょうか。
私たちは例外なく、日常生活において、悲しい出来事、腹立たしい出来事、感動した出来事、喜ばしい出来事等、その時は、主観的に、その出来事に直面したことで、芽生えた感情の下で、その感情に相応しい思考を作り出していると言えます。
良きにつけ、悪しきにつけ、ほとんどが無意識であり、対象に気が向いている(思っている)ことで生まれる感情が、私たちの人生を創っていると言っても過言ではありません。
また、夫婦喧嘩、親子喧嘩、知人・友人との諍いで、暴言を吐いたことも、あるかもしれません。
その時には、冷静に対応できなかったことも、しばらく時間をおいてから、改めて思い出すと、口から出てくる文言が、異なることを経験しているはずです。
「あの時、ああ言えば良かった」とか、「ああすれば良かった」という感じです。
何故でしょうか? 答えは、簡単です。
「感情的になっていないから」です。
例えば、あなたの両親が、言い争いを始める現場に、直面しました。
あなたは、元来、母親の味方ですが、状況から判断すると、母親にも非があります。
双方の感情的な言い争いを、あなたは、目撃しています。
この時のあなたは、当事者ではないので、感情的になっていないために、三人の中では、
最も、冷静な立場で、判断が出来る人です。
正に、母親にとっての「観察者」の立場です。
「心(思考と感情)の制御(コントロール)は、観察者が決めて」の真意は、感情的になっていない、善意なる第三者の確立のことです。
その存在の邪魔をするのが、その時の「感情状態」ということになります。
自分で、自分を観察するということは、過去の出来事であれば、比較的容易にできることですが、良きにつけ、悪しきにつけて、タイムリー(その瞬間)に出来ない理由は、そのとき湧きあがる感情が、邪魔をしているからではないでしょうか。
「深呼吸をして、冷静になってから」とは、月並みの言い方ですが、「感情状態に気づく」エクセサイズの繰り返しは、タイムリーに観察者の存在を、自分の中で生み出すキッカケになります。
言葉では、何となく理解してもらえますが、頭で理解している間は、一向に前に進まないことです。
本当の意味の「マインドワーク」は、決して思考ではなく、感情に目を向けることで、成り立ちます。
なぜなら、常に、その状態に相応しいマインド(思考)が、生み出されるからです。
では、理想的な感情状態とは、どのような状態でしょうか? ・・・(次号に続く)
I feel good, I feel God.
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