私たちは、自分にとって不都合な状況で出くわしたとき、好むと、好まざるとに関わらず、ある種の情動が働き、その情動に準じた思考が生まれます。
次にその思考に準じた「怒り」「悲しみ」「恐怖」という感情が、芽生えます。
しかし、その不都合な状況とは、私たちが、その状況を、どのように受け止めたかで、
その思考と感情状態に違いが生じています。
究極の答えは、「受け止めかた」の一言につきます。
かつては、些細なことで怒りをぶつけていた私も、少しは大人になって、「受け止めかた」を変えたことで、思考が変わり、感情状態が変わりました。
ですから、受け止め方によって変わる思考であれば、「思考」とは、様々に変化する幻想にしか過ぎないということになります。
先週の同じ時間に、「怒り」の感情を持っていた自分は、今の自分と同じでしょうか?
時が経過して、当時の状況の受け止めかたを変えたことで、思考が変わっていることは、
誰もが経験しています。
一番ありがたいのは、この「思考」を止めることです。
こればかりは、携帯の電源を切るようには、いかないものですね。
もし仮に「思考」を切ることができたなら、次に来る「感情」は、極めて冷静、平安なものであると、理屈では、理解することが可能です。
俳優、コメディアンで有名なジム・キャリーが、幻想である思考から離れた「気づき」のスピーチを紹介します。
「私は目を覚まして、突然それを理解しました。
「思考とは、幻想であって、自分の苦しみのすべてではなく、その経験にどのように反応しているかです」
「そして、ふと別の視点から、それを見ているような気がして、自分が考えていることを自覚しているのは誰なのだろうと思いました」
「その瞬間、突然、自分から解放された広大で驚くべき感覚に放り込まれたのです」
「特定の問題を見つめたとき、その感覚は、自分がやっていることよりも大きく、自分の体よりも大きく、それがすべてであり、誰もが、もはや宇宙のかけらではなく、自分が宇宙であるという感覚です」
「その日以来、その感覚に戻ろうとしているのですが・・・うまく波に乗っているときもあれば、乗っていないときもある、離れているときもあります」
「でも、どこに行きたいのかはわかっていますし、できるだけ多くの人に、この感覚を味わってもらいたいと思っています。なぜならそれは、素晴らしいからです」
このスピーチからわかることは、思考は、客観的に観察することで、その質が変わるということです。
客観的に見ている、その瞬間は、本当の自分は、どこにいるのでしょうか?
もし、その思考の最中に、その思考から離れていたら、それまであったその思考は、幻想的に変化してしまうかも知れません。
体験したことを、どのように受け止めて、思考したかによって、感情状態が変わります。
感情状態が変わると、その思考は、違うものになっているはずです。
ですから、思考とは、幻想という言葉が、ピッタリなのです。
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