仏教用語で、「四苦八苦」(しくはっく)というのがあります。
四苦は、代表的な(生老病死)
1.生(生きる苦しみ)
2.老(老いる苦しみ)
3.病(病気になる苦しみ)、
4.死(死ぬ苦しみ)のことで、次の4つを加えて、全部で八苦になります。
5.お金やモノ、地位、名誉が手に入らない
6.人間関係のトラブル
7.愛する者との別れ
8.心身をコントロールできない
どれもが、誰にでも当てはまることだと思いますが、
現代的には、これを総じて「ストレス」と呼んでいます。
先ず、ストレスとは、単純に、自分の思うようにならないという気持ちが、それを作り出しています。
それは、善悪に関係なく、自分主体のとらえ方=「エゴ」が作り出し、その「エゴ」が、すべての苦しみを作っています。
エゴと聞くと、悪いイメージですが、必ずしも、自分が悪いと言っているのではありません。
「心の癖」とでも、言い換えても良いです。
いづれの場合においても、「自分の思うようにならない」ということが、諸悪の根源です。
数ある中でも、私は、これらのストレスは、究極的には、次の3つに絞られると、感じています。
1.人間関係のストレス (家族、知人、取り巻きの人と、意見の食い違いや、疎外感)
2.経済的なストレス(地位、名誉、お金、仕事、物質的な価値の低迷)
3.命を脅かされるストレス(老い、病気、体に関わることから死によって自分が消える恐怖感】
先ず、今日は、一つ目は、人間関係のストレスです。
私は、幼少期に、いじめにあった経験がありました。
確か、小学生の時です。
特にトラウマになっている事件は、放課後の校庭に忘れてきてしまった、ジーンズ柄のジャケットのポケットの中に、石や砂利をたくさん入れられ、花壇の土の中に、埋め込まれていたことがありました。
翌日、校庭をいくら探しても見つからないで、途方に暮れていたところ、クラスメートの女子の一人が、「花壇にあるよ」と、そっと教えてくれたのです。
見つかって有り難かったのですが、その子が知っているなら、いったい誰の仕業なのだろうと、目の前にはいるが、特定できない犯人に対しての憤りと、クラスの大半を敵に回したような気分になったことを覚えています。
今にして思えば、単なる悪ふざけだったかもしれませんが、その時のショックは、50年近くたった今でも忘れません。
読者にも、似たような経験をお持ちの方も、いるのではないでしょうか?
社会生活の中でも、人間関係のストレスは、日常茶飯事です。
その多くは、特定の人や、グループに対しての違和感、自分の存在を否定されているような気持になったとき、私たちは、大きなストレスを感じます。
身近な家族や、友人に対しては、さらに自分のエゴが出るので、そのストレス度合いは、強いものとなります。
この時の精神的な特効薬は、「自分をわかってくれる人」の存在です。
「このような人が、一人でもいれば良いや」と、言い聞かせることで、少しは気持ちが楽になるはずです。
小学生の頃の私には、先にふれたクラスメートの女子が、救世主でした。
人間関係の根本的な解決策の前に、気持ちを楽にしてくれるのは、「自分をわかってくれる人」の存在です。
【次号に続く】
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