「私が体験し、学んだスピリチュアルヒーリング(心霊治療)の真実②」【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎】
- ホリスティックカレッジ
- 2022年7月8日
- 読了時間: 4分

前回(6/23)のBlog:https://www.holisticquantumacademy.com/post/h20220623では、少し衝撃的なお話をしました。
フィリピンの心霊治療の話は、にわかには信じがたいと、思われる方もいたでしょう。
誰もが、人知を超えた現象を見たとき、聞いたとき、そして経験したとき、そのことを、素直に、そのままを受け入れる人もいますし、そのような事実は、あるかも知れないが、にわかに信じがたい、と思っている人もいます。
また、科学的な根拠をもって、納得したい、と考える人もいるでしょう。
あとは、全く信じない人もいるはずです。
さて、読者の皆さんは、この手の話(心霊治療)を、どのように感じましたか?
先日の日本サイ科学会の講演の時、最後の質疑応答の時間で、次のようなご質問を受けました。
「ヒーラー(心霊治療家)が、取り出した物質の成分とは、いったい何なのか?
その成分を分析した経緯はないのですか?」
科学の世界に生きている私たちにとっては、大変興味深い質問でした。
1985年、私どもの所有する富士の別荘地(現在は、財団のリトリート研修に使っています)で、フィリピンからヒーラーを招き、同心霊治療のセッションを行いました。
私の経験では、出された物質は、黒のポリ袋に入れられ、一日の終わりには、焼却炉に運ばれました。
不思議なことは、数十名の方の体から出された肉片は、時間の経過とともに、縮小されていきました。
当時は、「霊的なものが物質化現象したものなので、公的機関で調べたら、多少のミネラル類が検出されただけで、特定の動物(人間も含めて)の組成の一部として認められなかった」と聞かされました。
しかし、後日談として、諸種の医学的検査を日米の調査団が行った結果、いくつかの科学的な見解に至りました。次のものが英文の報告内容です。


(引用元:著者名:本山博、タイトル:フィリピンの心霊手術 出版年:昭和52年、発行所:宗教心理学研究所出版部)
取り出されたものの標本の生化学的分析は、マニラのFar Eastern大学で行われ、血液は、患者の血液型と同等であったことや、東京の某医科大学の分析ケースでは、患者の上皮嚢腫の一部であることも、生化学的に立証もされていました。
東京の某医科大学の検査結果では、死体ではなく、生体内で出血し、凝集してまだ吸収されないで残って塊状になったものであるから、他の動物からこれと似たものを人工的につくって取り出すことは不可能に近い。この血塊は、体外に出血してできた血塊とは違ったものである。従って、トリックの可能性は非常に少ない。人体からのものであると思われる、と結んでいます。
物質化現象として、一部の組織として、縮小しながらも、この世の物質として残存するケースや、時間の経過とともに、全てが消えてしまうケースなど、様々ありますが、あらゆるケースが、全て同じ組成のものになるとは、限らないという結論になります。
本物である以上、結果として、異なる動物の組成物が検出されることは、ありえません。
もし、豚や牛の肉片と同等であるならば、それはどこかで、インチキな手品に惑わされたことになります。
残念ながら、過去において、そのようなケースがなかったわけではありません。
かつては、力のあるヒーラーが、知名度が増して、お金を持つようになり、強欲に走ると、そのパワーが、失われていくことがあります。
その地位や名誉を守るために、そのようなまがい事を行うのは、世の常であると言えます。無論、初めからニセ治療を施す輩もいることでしょう。
全てのヒーラーが、正法(神から与えられた特殊な力と認識し、奉仕のために施すという精神)の下、活動しているわけではないので、オカルト好きで、能力だけを求める人は、注意が必要です。
今日は、物質化現象について書いてきましたが、前述のご質問に対して、最後にお答えしたことは、
「私は、正直、肉片の中身にさほど興味はありませんでした。人は、目に見える現象に対して驚嘆したことで、神の力を感じる機会を得ます。(人知を超える何かがあると思える)
しかし、本当に(心の底から)信じない人は、何を見ても、何を聞いても、何を経験しても、決して、信じることはありません。科学的根拠ですら・・・
信じないというより、信じるまでに、時間がかかると言っても良いかもしれません。
その反面、パントマイムのような、目に見えないヒーリングセッションでも、多くの奇跡を体験し、それを信じる人も多々いることも事実です。」
最大、唯一のポイントは、あなたが、見たもの、聞いたもの、経験したことに対して、
どのように感じているのか、そのことを追求することが大事なのでは、ないでしょうか?
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