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思考と感情の間(はざま)で、意識(魂)に触れる【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎】



「思考」のことを、英語ではマインド(Mind)と表現します。

一般的に、思考を作り出すのは、脳の機能的なものとして言われていますが、意識(魂)の介在をなくして、思考は生まれません。

更に、「感情」についても、脳の機能的な説明がなされ、科学者は、神経伝達物質である脳内ホルモンを追いかけます。


例えば、精神的に安定している状態であれば、セロトニンが活性しているとし、幸福を感じている時には、オキシトシン、その反対に、突発的な怒りやストレスを感じると、アドレナリン、慢性的な悩みを抱えていれば、コルチゾルなど、約100種類以上の脳内物質が関わり、それが、あたかも“カクテル”のように、人が五官から得られた情報に応じて、ブレンドされたホルモンカクテルにより情緒を感じているということになります。


さて問題は、これらの脳内物質の量によって、「情緒の質」を正確にコントロールできるか否かです。「情緒の質」とは、特定の感情に対して、どのように感じているのか、ということです。


人が、異性を愛した時には、ドーパミン、バソブレシン、オキシトシン、セロトニンが関わります。それぞれの特徴は、満足、魅力、きずな、愛着を促すホルモンで有名ですが、個々のホルモンには、他にもいくつかの特徴があります。


例えば、セロトニンは、安定という反面、常習や執念にもつながります。

パソプレシンは、誘引や性的欲求を感じている時にも関わっています。

愛するが故の嫉妬心は、セロトニンの影響を受けているのでしょうか?

それとも愛着に関わるオキシトシンの量が多すぎて、嫉妬心を生み出すのでしょうか?

ここで言いたいことは、脳内物質のブレンド(配合)では、「情緒の質」は、測り知ることができないということです。


確かに、ホルモン検査をすることで、血中のコルチゾル(慢性的なストレス状態)の値を調べることはできますが、この検査の高値という結果を見て、あなたと私の数値が仮に同じぐらいであったとしても、感じている感情状態は、同じであるはずはないのです。

ストレスの有無は、想定できても、ストレスの感じ方は、知るすべもないという意味です。



次の写真のような美しい花を見たとき、その心のうちは、その人しか分かりません。


言葉として、「きれいなお花ですね」と言えても、その言葉を聞いた人は、聞いた人の「きれいなお花」という感覚で認識し、決して、相手の認識する花に対する情緒を知るすべもないということと同じです。


この違いを生み出すのが、まぎれもない「意識」=魂ということになります。


ただ、意識だけを実感することは、極めて稀であり、

特に思考(頭)を使って、意識を認識することはできません。

つまり、化学物質による関与を示す検証は無理だということになります。


そのため、「意識」=魂とは、医学的には、脳機能の範疇を超えたものになります。

医師が言葉にする「患者は、意識を取り戻した」という表現とは、全く異なるものです。

患者が、目覚めている状態、あるいは、意識があるのか、ないのかという状態のことではありません。


それはむしろ、だれにも経験のある「特定の異性に対して、湧き上がる思い」です。

何か見えない内面的なものが働いているのがわかります。

思考を超えた、直接胸の中心で感じる独特の感情を持った時、次のような表現をします。

「彼女(彼)を見ると、意識してしまうよ!」

もう少し言えば、思考を働かせなくても、自然と相手に、注意・関心が向いてしまうことです。


人前で、何かのパフォーマンスをするときの緊張感は、意識あっての感覚なのです。


この意識がベースとなって、様々な思考や感情を作り出していることに、すでにお気づきだと思います。


では、意識(魂)の存在を確信するためには、どのようにすればよいのでしょうか?

引き続き、本ブログにて、言及していきたいと思います。


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